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2024/04/24 14:23 |
【85番】 五剣山・八栗寺《放送内容》
今回のお参りは第八十五番札所、五剣山・八栗寺です。

こちらのお寺、山上の伽藍へは、一般の車の乗り入れが出来ません。
ケーブルカー、専用車両、徒歩のいずれかでお参りする事になります

因みに一行は、日常生活ではあまり乗る機会のないケーブルカーを利用。
米裕さんは、高野山へ上る時の事を思い出したようです

***********

参拝者の目を惹くのが、『聖天宮』の文字のある鳥居。

聖天とは、歓喜天とも呼ばれており、願い事は何でも叶えて下さるという
大変な力をお持ちの、天部の神さまの中のお一方です

『宮』というと、神社を想像しがちですが、この字が持つ元々の意味とは
『何かが宿る所』という事。

ですから『聖天宮』とは、『聖天さまをお祀りした場所』を指します。

この聖天さま、商売人には馴染み深い神さまですが、一度願い事をすると
その後一生休む事なく、時間を決めて供物を捧げ続けなければならない、
信仰するには覚悟の必要な神さまと言われています。

***********

空海さまが、不動明王の利剣五本を観じられた事で名付けられたという、
山号にもなっている『五剣山』

唐へ旅立つ前、焼き栗八つを埋めた空海さま
恵果さまより密教の全てを授かり帰国した後、お礼参りに訪れたところ、
それら八つの焼き栗は、立派な木に成長していたと伝えられています。

科学的には有り得ない話ですが、そんな有り得ない事が現実になるような
素晴らしい教えを求め、お大師さまは決死の覚悟で海を渡ったという事を
我々は心に留めておくべきでしょう。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

八栗寺の大きな菩提樹を見て、大喜びのごんた。
四国霊場が発心・修行・菩提・涅槃という四つの道場に例えられる事から
『菩提』という言葉に親しみを感じているようです。

ところで、『菩提』の意味は?

ごんた、そこまでは知らなかったようですが、たけやんによると、それは
『悟りの智慧』という事だそうです。

仏教には『三大霊樹』と呼ばれる樹木がありますが、菩提樹もその一つ。
お釈迦さまがその下で瞑想し、悟りを開かれた事に由来します。

もう一つが、無憂樹
お釈迦さまがお生まれになった時にあった木と言われており、インドでは
乙女の恋心を叶える、または出産・誕生・結婚に関わる幸せの木として、
人々に親しまれています。

三番目の霊樹が、沙羅双樹
お釈迦さまの臨終に際し花を咲かせ、供養するかの如く降り注いだ様子が
真っ白な鶴が羽を広げたようだった、と伝えられる木です。

尚、その光景を『鶴林』と表現するという事は、第二十番札所・鶴林寺で
たけやんが説明したのですが、ごんたはすっかり忘れているようです。
http://kikuhenro.blog.shinobi.jp/Entry/56/

お釈迦さまとの御縁を頂いたものは、人間だけでなく、野の植物でさえも
有り難い存在になる事に、ごんたは感動している様子。

そんなごんたを見て、たけやんが一言。
「ごんたも修行を積めば、いわれのある木が出来るかも。」

・・・・・・・・・・・

お釈迦さまのお弟子さんの中に、槃特という物覚えの悪い方がいました。

自分の名も覚えられない彼ですが、大きく名前を書いた木切れを背負って
日々の修行に励み、やがて悟りを開いたという、大変に偉い方でした。

槃特さんが遷化された後、お墓の周りに見知らぬ草が生え始めました。

『自身の名を荷なって修行された』という槃特さんのエピソードに因んで
その草は『茗荷』と名付けられました。

だから、『茗荷を食べると物忘れする』と、今も言われています。

・・・・・・・・・・・

この話を聞いたごんた。
道端に見つけた見知らぬ花を『記念の花』として、大喜びですが・・・

どうやらそれは、食虫植物のモウセンゴケだったようです。

***********

本堂とお大師堂の間に聖天さまがお祀りされていますが、高さを見ると、
本堂が一番高い場所で、次が聖天さま、そしてお大師堂という順番。

これは、仏・神・人『位』を表現しています。

冒頭でも述べた通り、聖天さまは大変なお力をお持ちである反面、我々が
信仰するには、相当の覚悟を要する神さまです。

それは『死ぬまで休まず』という面もさることながら、それを破った時は
『とんでもない罰が当るのではないか』という、恐怖が伴うからです。

ただ、裏を返せば、キッチリと密接なお付き合いをさせて頂けば、神仏は
我々の方を『振り返って下さる』という事実を示しているとも言えます。

天部の神さまは、それだけ単体でお祀りされる事はなく、こちらの様に、
御本尊さま、そしてお大師さまと共にいらっしゃいます。

なので、そういう『恐い』印象の強い天部の神さまに願い事をする場合は
まず、自身の不足をしっかり自覚し、その部分を御本尊に補って頂くよう
お力添えをお願いします。

その上で神さまに対面し、自分の名・数え年・住まい、そして願事を述べ
それが叶った時の(お礼参りも含めて)決意を表明します。

ですから神さまにお願いをするという事は、それだけの一大決心が必要で
お願いするだけの資格が自分にあるか、そして自分の願いの叶った暁には
それをどのようにして世の中に役立てるか
という所まで、お参りする前に
キチンと考えておく必要があります。

願をかけるには、自分の好きな事を我慢する=『身を慎む』という態度、
そして、世のため人のために役立つ様、身を捧げる決意が不可欠です。

こうして見ると、神さまへ『相談する』『お願いをする』といった行為は
相当な真剣さを要求される事であって、短い人生におそらく数度きりの、
本当に重大な局面に限って許される性格のものだろうと思います。

各地で人々の信仰を集めている神仏は多くいらっしゃいますが、中でも、
こちらの『八栗の聖天さま』の様に、それぞれの『土地の名』が冠された
神さま・仏さまは、その地域の人に支えられ、愛されて来た歴史があり、
それだけ功徳がある事、御利益を頂ける事の証でもあります。

***********

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!


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2010/10/18 11:31 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【84番】 南面山・屋島寺《放送内容》
今回のお参りは第八十四番札所、南面山・屋島寺です。

まずは、広い駐車場と近代的な建物に目を惹かれるこちらのお寺。
一行は自動車でお参りのため、整備された有料道路でやって来ましたが、
元々あるへんろ道は、険しい登山道です

周囲を観光スポットに囲まれている関係で、白装束のお遍路さんよりも、
レジャーに訪れた道すがら、ちょっとお参りを…という、一般の参拝者を
むしろ多く見かけます

***********

お寺の歴史は古く、天平年間、あの鑑真和上が開基と伝えられています。

当時、世界の文化の中心であった唐の国から、幾多の苦難を乗り越えて、
遂には失明という憂き目に遭いながらも、東方の小国に過ぎない日本へと
命懸けで、正しい仏法(戒律)を伝えた鑑真和上

当時の中国における鑑真さまの地位といえば、時の皇帝の相談役
言わば最高権力者の右腕として、あの大国を動かす立場にあったのです。

国の宝とでも言うべき方が、周囲の慰留や、時には妨害に遭いながらも、
その様な地位を捨てて、何故に我が国へとやって来て下さったのか?

中国に限らず、当時の大陸に存在した各国は、日々権力闘争に明け暮れ、
安定した政権が長続きする事はありませんでした

そんな中、穏やかで争い事の少ない東方の島国の話を聞いた鑑真和上は、
日本人に、正しい仏法を伝承出来る可能性を見出したのかもしれません。

***********

山門をくぐり、境内に立つと、そこに流れるのは、南国的な雰囲気

土佐の各札所で感じた、開放的な空気に近いものがありますが、それは、
近くに海を臨み、山上のため空が近い事が原因でしょう。

諸堂は本格的な宮建築

京都の寺院のような繊細さではなく、主に奈良で見られる、素朴ながらも
力強さ溢れる造りが印象的です。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

屋島寺の境内へとやって来たごんた、大きな狸の像に驚きますが、それは
佐渡の団三郎狸・淡路の芝右衛門狸と並び、『日本三名狸』の一匹として
崇められている、四国狸の総大将・太三郎狸です。

この太三郎狸、眷属が集まる大寒の時期に、自分が見た源平合戦の様子を
幻術を使って皆に披露して楽しませたり、道に迷っていたお大師さまを、
人間に化けて案内したりと、善行を積んだそうです。

夫婦の契り固く、家庭円満・縁結び・子宝、更には水商売の神様として、
全国に信者を持つ、屋島寺の守り神です

古くより、狐や狸は『人を化かす』と言われて来ましたが、言い換えれば
我々の先祖は、人智を超えた、人の力が及ばぬ存在がある事を感じ取り、
畏れ敬っていたという事でしょう。

科学万能の時代、万物の霊長を自認する人間。

しかし、そんな我々をも超える力がある事を感じ、素直に認めることで、
現代人が忘れがちな『謙虚さ』を取り戻す事が出来るでしょう。

***********

ダイナミックな奈良建築。
日差しの強い時は、大きな屋根が、優しく、有り難いものです

しかし、この屋島寺、夏は照り返しが強く、冬は寒風の吹きさらし。
山上のため、台風シーズンにはまともに強風を受ける、厳しい行場です

観光スポットという一面を有していながら、やはり律宗の祖・鑑真和上
修行の道場として開かれたお寺。

一般の観光客をすんなり受け入れて下さる『懐の深さ』を持ちながらも、
注意深く観察すれば、異なった空気が流れている事に気付くはずです

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!


2010/10/03 18:55 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【83番】神毫山・一宮寺《放送内容》
今回のお参りは第八十三番札所、神毫山・一宮寺です。

高松市郊外の閑静な住宅街に位置する、こちらのお寺。
その歴史は古く、飛鳥時代にあたる大宝年間に創建され、後に行基さま
荒廃していた堂宇を復興されたと伝えられています。

創建当初は法相宗でしたが、空海さまが観音像を刻み御本尊とされてから
真言宗のお寺になりました。

この様に、年代を追ってお寺の成り立ちを『立体的』に勉強してみると、
その歴史の深さが見えてきます。

***********

山号の『神毫山』とは、『神さまのお印』という大変尊いお名前ですが、
『カミ』には二種類あって、『神』が天にいらっしゃる存在なのに対し、
地のカミサマは『祗』と表します。

そういうカミサマのお言葉を書き留めるのに使われたのが『紙』ですが、
かつては、紙は白ければ白いほど珍重されました。

その理由とは、墨で書き記された言葉や文字はカミサマそのものであり、
真っ黒な墨が最も映えるのは、真っ白な紙だからです。

先人達が、冬にのみ得られる澄んだ水を使って、身を切る様な寒さの中、
苦労して白い紙を漉いたのは、「最高の形でカミサマの言葉を残したい」
という気持ちからだったのでしょう

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

昔、ある所に早離・即離という兄弟がいました。

幼くして母を亡くしてしまった彼等兄弟を不憫に思い、貿易商である父は
彼等の母親として、新しい妻を迎え入れます。

聞き分けがよく、いつも笑顔を絶やさない兄弟は、世間の人々から見れば
とても出来の良い子どもです

しかし、継母にとっては、兄弟の『子どもらしくない』部分が気に障り、
次第に重荷ともなって行きました。

そしてある日。

継母は、仕事で海外へ行っている父親が帰って来ると嘘をついて、兄弟を
離れ小島に置き去りにしたまま、姿を消してしまいました

やがて兄弟は、自分達が騙された事に気付きますが、継母を恨む訳でなく
全てを運命として受け入れ、静かに旅立ちました。

慈しみの心を忘れずに修行を積んだ、早離・即離の幼い兄弟。
どんな苦境でも、道を外す事なく歩んで来た彼等の姿を見守っていたのが
阿弥陀如来さまでした。

極楽浄土に生まれ変わった兄弟に、阿弥陀さまは頼み事をなさいました。
それは、悟りの世界へ辿り着いた者達に向かって、教えを説く事です。

しかし、早離・即離の兄弟は浄土に留まる事を断り、現世へと出向いて、
悲運に苦しむ人々を直接手助けしたいと申し出ました。

兄の早離は、慈しみの心で、他の悲しみを我がものとして全てを包み込み
和らげたい
、と。

弟の即離は、人々の心に笑いや安らぎを目覚めさせ、知らず知らずの内に
苦しみから遠ざかるよう導きたい
、と。

早離は、八十三番・一宮寺の御本尊でもある観音菩薩さまとして、そして
即離は勢至菩薩さまとして、この世で悲しみ、そして苦しむ者達のために
お働きになって下さっているのです。

***********

境内の中で目を惹くのが、平成十八年に建立された護摩堂
本堂と見違えるほどの規模で、しかも品の良さが漂っています

護摩を修する意味は、本堂で正式に仏さまをお迎えする前に魔を払うのと
汚れのある者は、事前にそれを払い落として清め、法要を守る事です。

「護摩の修法と普通の読経、どちらがより功徳があるのか?」

・・・現場では、そんな質問もあるそうです。

どちらでも功徳を授かる事は出来ますが、手に印を結び、観念を巡らせ、
様々な作法を同時進行で行うという事から、その密度に違いがあります。

準備、そして後片付けの大変さから、お寺で護摩を修さないお坊さんも、
残念ながらいらっしゃるそうです。

若き日のこうゆうさんは、お師匠さまから

「御本尊さまの元で、休まず百座を積みなさい。」

・・・と、指導されたそうです。
そうすれば初めて、御本尊さまが『振り向いて』下さるのだそうです。

護摩。
行者にとっては最も大事で、複雑で、覚悟を要するもの・・・との事。

その意味で、護摩堂があるお寺は、寺院としての理想型と言えそうです

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!


2010/09/19 11:05 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【82番】青峰山・根香寺《放送内容》
今回のお参りは第八十二番札所、青峰山・根香寺です。

前回の札所が『白』峯寺だったのに対し、今回は『青』峰山。

この地を巡錫されていた空海さまが金剛界曼荼羅の五智如来を感得され、
五つの峰にそれぞれ色を配されて密教の道場となさった事に由来します。

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古い山岳信仰の形態を、現代まで色濃く残すこちらのお寺。

駐車場の上には、恐ろしく奇怪な姿をした怪物の像がありますが、これは
四百年程前に、この界隈を荒し回ったと言われる『牛鬼』です

境内へと進むには、山門から一度石段を下った後、更に上へ上るという、
かなりハードな行程となりますが、これは魔を封じる地形だそうです。

山号が示す通り、参道の周囲は、豊かな緑の木々。
お参りしながら、心行くまで森林浴を楽しむ事も出来ます

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前回の天狗やこの牛鬼のように、四国八十八箇所の各札所に伝わる話には
得体の知れない物の怪の類が度々登場しますが、この四国の地に限らず、
お坊さんが怪物と対決した、という話は、全国各地に残っています。

蛇や狸、狐等に『憑かれた』といった相談は、現代でもあるそうですが、
西洋的な『対決』ではなく、対話による問答の中で相手の言い分を聞き、
最後に法力で降伏させるという日本にあって、大事なのが『見栄』

荒れ狂い、凄んで、力を見せつけようと迫って来る恐ろしい相手に対し
平静を保ち、力のあるお経を唱え、相手に『勝る』という事を見せつけて
屈服させるのが、お坊さんの役目です。

これは、自然災害を前にした時の、我々の態度に通ずるものがあります

猛威を振るう台風などの自然のパワーを前にすると、普通の人間であれば
狼狽するばかりで、不安に駆られて右往左往しがちです。

でも、ジタバタしたところで、何かが変わるわけでもありません。

ただ、事前に成すべき事を終え、準備万端でその時に臨んだでいたなら、
あとは心静かに、凛として、嵐が過ぎ去るのを待つ事が出来るのです

***********

こちらの見所の一つが、日本でも有数の古さを誇る、五大明王像

各地の展覧会へ『出張』される事が多く、色々な場所で御覧になった方も
多いかもしれません。

根香寺へお越しの際は、ぜひ、『本来の場所』にいらっしゃる明王さまへ
お参り下さい。

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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

今回は、根香寺にまつわる牛鬼のお話です。

昔、この辺りの村人は、森に棲む怪物に悩まされていました。

夜道を行くと、暗がりの中を動く巨大な影。
一瞬、恐怖が過るものの、牛に似た鳴き声に安心する。
が、次の瞬間には鋭い角に突き刺され、森の奥に引きずり込まれる

・・・こんな風に、五人もの村人が犠牲になったそうです。

その頃、塩江に山田蔵人高清という弓の名手がおり、噂を聞いた村人達は
牛鬼の退治をお願いに行きました。

名人の放つ威厳を察知してか、牛鬼はなかなか姿を現しませんでしたが、
高清が根香寺で牛鬼出現を祈願して二十一日目の満願の日、山の中を蠢く
黒い生き物を発見。

一本の矢では倒し切れず、二本目の矢を口に命中させ、見事退治に成功

その牛鬼の角は、今も根香寺に保管されているそうです。

***********

根香寺に参拝した際には、ぜひとも手に入れたいのが、牛鬼グッズ
リアルな姿が描かれた縦向きの手拭いが、こうゆうさんのお薦めです。

最後に、お寺の名前の由来について、米裕さんの解説です

かつて、このあたりでは香木が沢山採れたそうです。

智証大師さまが香木に御本尊を刻んだそうですが、その根の放つ香りが、
とても馨しいものだったので、寺号となったそうです。

また、その根の香りが水に溶けて、川も香った事から、『香川』の地名が
生まれたそうです。

『香りが広がる』という事は、『仏法流布』にも繋がっています。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

2010/09/05 21:48 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【81番】綾松山・白峯寺《放送内容》
今回のお参りは第八十一番札所、綾松山・白峯寺です。

坂出市内にありながら、五色台の一角という立地もあり、幽玄な空気漂う
こちらのお寺。

山門には菊の御紋、そして塀には最高の寺格である事を示す五本線
それもそのはず、こちらは崇徳上皇の御陵所でもあるのです。

***********

元々は、この地を訪れた弘法大師空海さまが、宝珠を埋めて井戸を掘り、
お堂を建立なされたのが起源。

後に、霊光に導かれてやって来た円珍和尚が、そこに現われた老翁から、
この地が大変な霊地である事を聞かされます。

そこで、瀬戸内に漂っていた流木を引き揚げ、千手観音さまのお姿を刻み
御本尊として安置されたそうです。

***********

ところで。
空海さまが井戸を掘られる前、宝珠を埋めたのは何故でしょうか?

今でこそ、仏教は我々日本人の生活に浸透していますが、当時は平安期。
まだまだ『異国から来た新しい教え』というのが、一般的な認識でした。

そこで、お堂を建てる許しを請うため、古くからその土地にいらっしゃる
神さまへの捧げものとして、地・水・火・風・空の五大元素を表現した、
宝珠という最高の贈り物をなさったのです。

この『土地に鎮めものを埋める』という事、家などを新築する前の土地で
神主さんに行って頂く『地鎮祭』そのもの、という印象ですが・・・

現代では、大多数の日本人が神道の行事と捉えている、この地鎮祭
実は、仏教が発祥なのです

そして、円珍和尚が会ったという翁、そして流木の意味するところとは?
・・・それは、後半に。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

今回は、白峯寺にまつわる天狗のお話です

天狗に関する伝説は日本各地に残っていますが、こちらの白峯寺周辺にも
今の神奈川県あたりから移り住んだと言われる、『相模坊天狗』のお話が
伝えられています。

ある時、白峯寺に一人の客人がありましたが、もてなす物がなかっ
たため御住職は小僧さんに、ふもとで木綿豆腐を買って来るよう言
いつけます。

小僧さん、日の暮れかけた中、長い山道を行くのを心細く思っていた所、
大きな羽音がしたかと思うと、何かに背負われて空を飛び、ふと気付くと
豆腐を手に、白峯寺の門前に立っていたそうです。

ついさっき出掛けたばかりの小僧さんが、あっと言う間にお使いを済ませ
帰って来たという事で、寺は大騒ぎになりました。

しかも持ち帰ったのは、京の町でしか手に入らないという、絹ごし豆腐
これは、夜遅くのお使いを気の毒に思った相模坊天狗が、小僧さんの事を
助けてくれたのだろう、と言われています。

この、相模坊天狗

保元の乱に敗れ、都に帰る事を許されず、望郷の念を抱きつつ亡くなった
崇徳院の白峯御陵を守り抜いた事でも知られており、『相模坊大権現』
地元では『さがんぼさん』として親しまれています。

***********

さてさて、話は戻り、円珍和尚が会った翁と、流木の件

伝説の要所で登場する翁とは、大抵の場合が、その土地の神さまです。
円珍さんがお会いしたというこの老翁も、古くからこの土地を治めていた
神さまの仮の姿でしょう。

そして、海に浮かぶ流木を『霊木』として像を刻み、安置する行為。

これは、天竺、そして唐という遠い異国からはるばる旅をして来た仏教が
この日本の地に根差し、人々の信仰を集めたという事実を示しています

旅のガイドブックには、数行でしか語られる事のないエピソードですが、
注意深く読めば、このように深い物語が隠されている事もあります。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

2010/08/21 17:30 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容

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